2013年6月17日(月)に2790gの女の子をマリエンホスピタルにて無事出産することができました。10%以上の体重減少と新生児黄疸のため、入院が長引いてしまい、産後7日目でやっと退院できました。
私の出産は、私の不徳の致すところ、完全に準備不足の中、出産が始まりました。出産予定日が7月3日で、6/15(土)まで予定が詰まっていたので、6/16(日)に入院と出産の準備をしようね、名前も決めようね、と前日に主人と話していたのに、6/16(日)の朝方am5:55に出産している夢を見て目が覚めたら、破水(おりもののような極少量)していて、入院準備もまだ、名前も決まっておらず・・・大慌てで入院準備をして病院に向かいました。前夜もホームパーティに行っていて帰宅が深夜でほとんど眠っていない睡眠不足、体調も風邪で咳と鼻詰まりがひどい状態だったので、この最悪のコンディションで出産が始まることに、果たして陣痛時、呼吸法などできるのだろうか?と、とても不安になりました。
初めての出産は、人生の中で最も素晴らしい経験になりました。主人はいくつかのシーンで泣いていて、出産後、感想を尋ねてみたら、「出産は、昔は命を落とすほどのものだった訳だから、大変なものだとは思っていたけれど、それでも、想像を絶するものだった。壮絶だった。」と言っていました。私も同じ感想です。出産2日後、自分の赤ちゃんを取り上げてくれたHebamme(助産師)に御礼を言いに行ったら、「あなたはとても我慢強く頑張った。いいお産だったよ。」と言って頂き感激しました。
産後の私は、出産の興奮と感動が1週間は続いてほとんど眠れませんでした。入院期間中、夜中も含めて積極的にStillzimmer(授乳室)に通うようにしたところ、母乳育児やその他の多くのことを学ぶことができました。母乳育児指導に力を入れているマリエンホスピタルでは、出産後、病棟に移った直後から母乳育児指導が始まり、最初は、少し厳しい感じがしたけれど、通い続けている内に、理に適った極めてプロフェッショナルな指導であることを感じ、私は段々楽しくなってきて、ここで教えてくれる全てのことは、退院後の自分の生活を、おおいに助けてくれるものだと確信しました。入院期間は長かったけど、本当に楽しい入院生活で、スタッフの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
以下、出産の経過です。
【6月16日(日)】
5:55 破水
7:40 Marien Hospital着
8:00 Hebamme(助産師)による内診、子宮口指1本分開。
9:30 Dr.による内診。Hebammeより、歩いたりして、次回は11:00にKreißsaal(分娩室)に来るよう指示されるも、風邪と睡眠不足で体調が悪過ぎるため、病棟のベッドで横になって体力温存。
11:00 分娩監視装置にて赤ちゃんの心拍問題無。陣痛無。
12:30 病院食の昼食。思いのほかおいしい。次回は14:00にKreißsaalに来るよう指示有。
14:30 日本人Hebamme高野さんに会う。分娩監視装置にて赤ちゃんの心拍問題無。陣痛無。子宮口指1.5本分開。
陣痛がつきやすくなる効果を期待して、浣腸することを提案される(するかどうかは自分で決める)。浣腸、難なく終えた。
15:50 自然陣痛起こらず、高野さんより、1時間お散歩してくるよう言われ、まだ決まっていない名前について夫婦で相談。
16:50 分娩監視装置にて赤ちゃんの心拍問題無。陣痛無。
破水の場合、感染症のリスクがあるため、破水後12時間以内に抗生剤を開始しなくてはならないとの説明有。抗生剤の点滴注射開始(その後、8時間毎に抗生剤点滴投与)。鼻詰まりの薬もらう。
17:50 破水して時間が経っても、自然陣痛が起こらないため、陣痛促進剤(カプセル剤)内服。
18:15 病院食の夕食。典型的なドイツのカルテスエッセン(黒パン2枚、ハム1枚、チーズ1枚)。
19:00 ややお腹が張るも陣痛は全く無。次回は歩くなどして21:00にKreißsaalに来るよう指示有。風邪で体調悪く睡眠不足のため、ちゃんと眠りたかったので1時間眠る。
21:00 分娩監視装置上、弱い陣痛が5分おきに始まる。陣痛の自覚症状は無。PDA(無痛分娩)を使うかもしれないことを想定して同意書作成。高野さんより呼吸法を教わる。
22:00 少し痛みの自覚症状発現。子宮口2cm開。高野さんの勤務終わり。
【6月17日(月)】
1:30 子宮口4cm開。痛みが強くなってくる。呼吸法で痛みをコントロール。腰が痛くて、主人が持ってきてくれたテニスボールを腰の下に置くと痛み軽減。
2:45 痛み増加。呼吸法とテニスボールだけでは陣痛を乗り切るのが困難になり、鎮痛剤使用の希望をHebammeに伝える。鎮痛剤ブスコパン座薬2個投薬。痛み軽減、少し眠れた。
5:05 子宮口5~6cm開。陣痛の痛みがかなり強くなってきている。
5:15 耐えられなくなり、更に鎮痛剤使用を希望。メプティット点滴注射開始(5:15~8:15)。
5:40 メプティットの副作用、嘔吐7回発現。当副作用発現の不利益より、痛み軽減の利益の方が上回るため、メプティット使用して良かった。
7:40 子宮口7cm開。便意を感じたので、Hebammeに「便意を感じるが、これは、赤ちゃんが下がってきているからなのか?あるいはトイレに行くべきなのか?」と尋ねたところ、「赤ちゃんの可能性もある。トイレに行ってみましょう。」と言われトイレに行くも何も出ないため、赤ちゃんが下りてきているのだと感じる。陣痛を乗り切るため、いろんなポーズを試すも、効果無。
8:30 陣痛促進剤点滴注射開始。極めて辛い。Hebammeより呼吸法教わるも、痛み軽減せず。だけど、赤ちゃんに酸素を送り込むため、一生懸命、呼吸法を続ける。痛みで私が呼吸を忘れないように、隣で主人が呼吸法をしている。
9:25 子宮口8~9cm開。痛みに耐えられず、Hebammeに、「今からでもPDAを使うことは可能か?もし可能であれば、今、PDAを使った方が良いと思うか?使わない方が良いと思うか?プロの立場から教えてほしい。」と尋ねたところ、Marien Hospitalで最も勤務歴の長いベテランHebammeは、「私は今まで数多くの妊婦を見てきた。そんな中で、あなたはとても落ち着いている。とてもリラックスして出産に臨んでいる。もうお産は終わりに近づいている。あと1時間で子宮口は全開になる。だから、PDA無しでいけると思う。」とアドバイスされ、PDA使用しないこととする。
10:00 痛みが耐えられない。子宮口はまだ開ききらず。ここで、先のHebammeより、「さっきは、あと1時間で子宮口が全開になると思ったが、1時間では全開にならなさそうで、さらに時間がかかりそう。なので、もし、あなたが希望するなら、PDAを使用しましょう。」とPDA使用を提案される。即、「PDAを使いたい。」と答えた。Hebammeがすぐに麻酔科医に連絡をとってくれて、PDA使用の準備も整えてくれたけれど、麻酔科医は一向に来る気配無。なんとなく、私はPDAは使用できないのだな・・・と悟った。辛かったけど想定範囲内のことだったのでショックの気持ちはなかった。風邪、睡眠不足、前日の夕食以降、何も食べていないので体力も限界・・・で、私の息絶え絶えの様子に、主人が泣いているのが見えた。主人のお話だと、この時、Hebammeが、分娩監視装置の端子をどこに当てても赤ちゃんの心拍を確認することができず、Hebammeも少し焦った様子だったことから、主人は、「妻も赤ちゃんも死んでしまう。」と思って涙が出てきたらしい。・・・だけど、これはどうやら、単なる装置ボタンの押し間違えで、その後すぐに赤ちゃんの心拍確認できた。その後、Hebammeは何度も麻酔科医に電話してくれたけれど、救急外来にいて、結局、麻酔科医は現れることなくPDAは使用できなかった。
11:30 子宮口全開大10cm。主人のお話によると、この時、Hebammeの表情が明らかに安堵の表情に変わったらしく、それで主人もほっとしたと。陣痛に合わせていきむも赤ちゃんはなかなか出てこない。みんな、こんな思いをして出産したのか・・・と思うと、本当にみんな、すごいなぁと思った。私が息を吸うタイミングで、いきむ度に病院のスタッフと主人が、赤ちゃんが出てきやすい体勢になるようにしてくれて、スタッフ、主人、赤ちゃん、自分のチームワーク、連帯感を感じた。
13:30 いきんでもいきんでも赤ちゃんが出てこない。Dr.に「会陰が狭くて赤ちゃんが出て来れないので会陰切開してよいか?」と尋ねられ、早くこの状況から解放されたい一心だったので、即、「Ja」と答えた。パチンパチンと会陰を切開されるのが分かったが痛みはなかった。Hebammeに「赤ちゃんの頭が出てきたよ。髪が生えてるよ。触ってごらん。」と言われて、手を伸ばしたら髪の感触があった。その後、何度もいきんだ後、Hebammeが「あと1回いきめば赤ちゃんが出てくるから」と言い、主人も「最後の1回だから」と言うので、自分の残されたすべての力を振り絞っていきんだ・・・けれども赤ちゃんは出てこず・・・「あともう1回」と言われ、次にいきんだら、
13:46 赤ちゃんがズルンと出てきた。ホンギャーという擬音語通りの産声が聞こえた。2時間以上もいきんでいた訳だけれど、自分の感覚だとそれよりずっと短い気がした。主人が「生まれたよ。ありがとう。お疲れ様。」と言ってぽろぽろ涙を流していた。私は疲労困憊で安堵感と解放感。感動で涙が出たのは産後2日目だった。すぐに赤ちゃんが自分の胸の上に置かれた。生命の神秘を感じた。
PDAを使用できなかったことについては、後で高野さんに伺ったところ、麻酔科医は二人以上常勤しているため、上記のケースは稀だとのこと。退院後、夫婦で出産について振り返ったところ、あの時、PDAを使えなかったのは辛かったけれど、救急外来の患者が優先されるのは当然のことだと思うし、結果として、PDAを使えなかったからこそ、より感動的だったのではないか、と話しました。また、一旦は、PDA不要だとアドバイスをくれたベテランHebammeが、その後の様子を見て、PDAを使うことを提案してくれた、その臨機応変な対応にも感謝しています。痛みの感受性、お産の状況は人それぞれなので、その時々の状況を見て自分自身でPDA使用を判断することが大切だと感じます。
また、陣痛は硬膜外麻酔(PDA)しか効かないということで、日本ではブスコパン等の鎮痛剤はあまり使用されないそうで、確かに、陣痛の最後のマックスの痛みに対しては、鎮痛剤の効果はなくPDAしか効かないと思われますが、そこに至るまでに、体力温存という意味で鎮痛剤を使用して痛みを軽減させることは、睡眠や休息を与えてくれて有用でした。
中川先生、長い間、大変お世話になり有難うございました。妊婦教室でも多くのことを学ばせて頂きましたこと、心より感謝しております。中川先生のおかげで、幸せな妊婦生活と素晴らしいお産を経験することができました。そして、今、産後においても、中川先生の言葉がよく頭をよぎります。中川先生がおっしゃって下さった「子育ての基本は夫婦にある」ということを心に留めながら、これから子育てを通して、自分自身も成長していけるように努めていきたいと思っております。お世話になり本当に有難うございました。
(2013年7月26日)
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